榮太樓
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8月のお話し-名代金鍔の話 その弐-

榮太樓の代表菓子の一つ、「名代金鍔」。 2024年12月のお話しでお伝えしきれなかった金鍔にまつわるおもしろ話です。

金鍔について様々な諸説があると聞きましたが、どのようなお話なのか教えてください。

名代金鍔の名前の由来や初代・栄太郎の屋台商売についてはお話しましたが、今回は金鍔にまつわる諸説についてお話します。
金鍔の全盛は、文化・文政(1804-1829)の江戸爛熟期の頃で、吉原遊郭の遊女の間に「年季増しても食べたいものは、土手の金鍔、さつま芋」という俚謡(りよう)が流行したと言います。
先代・六代目細田安兵衛の友人で代々著名な刀剣と鍔の研究家である伊波富彦氏が、彼が自分の祖父から聞いた由来説が榮太樓物語に残されています。

「昔ある殿様が、刀の鍔師に金の鍔を作るように命じた。
併しその鍔師なかなかの悪者にて、芯には鉛を用い表面だけ薄く金箔で包み納めた処、殿様に見破られ仕置きを受けた、と云う事件が起きた。
この事件から、菓子としても、中の餡は絶対に外に出さず、外側の皮は出来るだけ薄くして包み、形も鍔のように丸く、平たくしたこの菓子に、金鍔と名付けたのだ」


この説の真偽の程は別として、いかにも武家、町人の街である江戸らしい、楽しい由来説です。
現に、金鍔の表の皮は薄く、中身は殆ど餡ばかり、ということから当時米と小豆の価格差があったことから、金鍔に対して「よく見れば、赤小豆を包み、上に薄様ほどの餅をはりつけたり、これならば小豆として売るべけれ、餅と名付けて偽れることこそ軽蔑なれ」といった当時のある古老の述懐にも記録が残されています。
特にこの言葉を小豆を鉛に、餅を金という字に置き替えれば、前述の偽金鍔事件に当てはまる内容といえます。


刀の鍔の大部分が丸型なのは、「抜刀の際、角だと袂(たもと)などに引掛り、一瞬の勝負に遅れをとる危険があるからである」と先代の知り合いである剣の達人から聞いた話だと言われています。

このようなことから江戸の金鍔は、餡を小麦で練った種で、出来るだけ薄く包み、丸く、平たく整えたものに二本の指形を付け、銅板の上で転がしながら焼くものです。
榮太樓では昭和50年頃より二本の指形は付けず、代わりに黒胡麻を付けています。
お土産用にも幅広くお使いいただける個包装の金鍔をご用意しております。
季節ごとの金鍔もございますのでぜひ江戸の味をご堪能ください。