
現在では理由あって廃業、閉店しており現存している暖簾分けは「芝神明榮太樓」のみとなっています。
戦前、榮太樓總本鋪と正当な関係にあった店舗とは、どのような店があったのですか。
戦前、榮太樓總本鋪が認めた暖簾分けした支店は以下の5支店のみであり、それ以外は当社とは関係ありません。(下記◎は現在営業中)
・日本橋兜町支店 <明治8年(1875)~昭和47年(1972)>
・日本橋蛎殻町支店 <明治15年(1882)~昭和18年(1943)>
◎芝神明町支店 <明治18年(1885)~現在営業中>
・深川森下町支店 <明治38年(1905)~令和6年(2024)>
・京橋木挽町支店 <明治40年(1907)~大正12年(1923)>
いちばん古い「兜町支店」について榮太樓物語に記述されている部分を述べたいと思います。
「初代加藤金次郎氏は、福井の生まれで、幼少の頃榮太樓本店に奉公、その勤勉精励さを買われて明治8年、20才のとき「のれん分け」を許され、榮太樓支店の第一号店が誕生したのです。
創業以来、支店一号店に恥じぬ盛業を続け、明治13年には「東京商人録」に社名が掲載、明治26年版「東京盛大蒸菓子一覧表」には東前頭三枚目にランク付けされるようになりました。」
兜町支店では戦前、榮太樓總本鋪の黒飴は桂皮末(ニッケ)を塗す前から、いち早く「鰹節飴」と称して桂皮末を塗した飴を販売していました。
戦後の混乱期、見事に復興再建し息子の二代目まで盛業を続けてきましたが後継者不足もあり、昭和47年(1972)97年の歴史に暖簾を下ろしました。
三番目に古い「芝・神明支店」は明治18年(1885)に芝・神明さまの門前に初代内田長吉氏によって開業されました。
支店の中でも一番の大手であり、今日でもなお盛業を続けている榮太樓唯一の暖簾分け支店です。















