榮太樓

3月のお話し-榮太樓三代目の話-

現在の榮太樓總本鋪の基礎を創り上げた初代、二代目のお話は以前触れましたが、戦後復興、百貨店への販路全国展開を切り拓いた経営者、三代目榮太樓のお話です。

三代目榮太樓について教えてください。

三代目榮太樓の細田修三は、二代目榮太樓の三男として生まれました。兄・安兵衛が細田本家の家業に専念する一方、修三は弟・潤とともに戦後の混乱期にあった会社再建を担うことになります。

終戦直後は店舗や工場は戦災により焼失し、事業継続は極めて困難な状況にありました。
そうした中、父・二代目榮太樓と親交のあった東横百貨店社長・五島慶太氏の協力を得て、工場を借用しゼリー羊羹、餡切りなどの製造販売を開始します。
とりわけゼリーは高い評価を受けよく売れ、戦後復興への確かな足掛かりとなりました。

昭和26年(1951)には、日本初のデパ地下とされる「渋谷東横のれん街」に出店。
のれん街設立の中心的役割として関り、この成功を機に、全国各地に「のれん街」と呼ばれる食品売場が広がっていきました。
さらに昭和28年(1953)、東京駅八重洲口のターミナルビル完成に伴い「東京駅名店街」へ出店。
榮太樓飴は旅行客や修学旅行生に親しまれ、東京みやげとして高い評価を得ました。
昭和30年頃には列車内販売も開始され、商圏は東京から全国へと拡大していったのもこの頃からです。
また昭和31年(1956)には、日本の中小企業として初めてIBM電算機を導入。
このことについて社史榮太樓物語にこのように書かれています。

今日のコンピュータの先駆である「電算機」システムを日本の中小企業で導入したのは当社が第一号で、当時のマスコミが競ってこのことを取り上げ、この結果は各中小企業への良き刺激となり、導入促進の役割を果たしたと思われる。

昭和40年(1965)には、短編映画「和菓子」を制作。単なる企業PRにとどまらず、和菓子の成り立ちや歴史、そして失われつつある伝統文化を記録、継承することを目的とした作品です。
映画企画にあたって本人の強い想いは榮太樓物語にも記されています。

和菓子についての文献は、所々に散在しているが、纏まったものとしてみられるものは、数少ない。 従って、その歴史を調査しようにも、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感で、徹底的に究明することが困難な状態にある。又、当今の目まぐるしい社会変動の中で、総てのものの新旧交替が著しく、古くて良いものが失われつつあるのは否めない事実であり、和菓子もその例外ではない。
そこでカラー映画という新しくて最も理解され易い手段を用いて、秘められた和菓子の伝統を美しく、楽しく探りつつ、それを記録にとどめると同時に、将来への志向を求めたい、そんな気持ちが、この映画を創り出す動機となった。
幸いにして、多くの方々が観賞されて、和菓子の民族固有の良さ、美しさ、などについて多少なりとも認識を新たにされるなら、企画者として、これにすぎる喜びはない。


この映画は制作から60年を経た現在、ナレーションや音楽を再編し、新たな装いで生まれ変わります。
三代目榮太樓・細田修三は、戦後の会社再建にとどまらず、販路の全国展開、社内システムの近代化、文化的発信までを手がけ、榮太樓の名を全国へ広めた存在でした。その歩みは、今日の榮太樓總本鋪の礎として、今もなお息づいています。