
日本人が相撲好きのせいか、相撲番付になぞらえて「大関」「関脇」「小結」などと評していたようです。
今回は「人気番付表」のお話です。

榮太樓の商売に関する資料としてマスコミが取り上げた効果のあった記事は
どんなものがあったのですか?

明治に入り榮太樓が盛業を続け、世間の目を引くようになると当時のマスコミにも色々と記事が取り上げられるようになりました。当時の繁盛がわかる貴重な資料があります。
※写真は1893年(明治26)版、東京盛大蒸菓子店一覧表より
「東大関」に日本橋西河岸本店 榮太樓、東三枚目に坂本町支店、東六枚目に芝神明支店、西三枚目に蛎殻町支店が明記されています。
一番古いもので現在残されているのは1879年(明治11)版で、驚くべきことは東京中の菓子屋のなかで、「東大関」に本店がランクされていることです。
このような人気と評価を受けたということは、ひとえにお客様から愛されていた証拠であります。
私たちは古資料から見える当時の繁盛ぶりに改めて驚かされるとともに、初代の資質と商品力が相まって、いかにお客様から支持されていたか、このことに対し深い尊敬の念と感銘を覚えました。
榮太樓が取り扱う「名代金鍔」「梅ぼ志飴」の存在を、もっと多くのお客様に知っていただきたい想いがあります。
榮太樓の「のれん」に自信と誇りを持ちながら、これからの百年、高く掲げていくことが私たちの使命です。