
今回はその中の一つでもある河鍋暁斎の「枯木寒鴉図(こぼくかんあず)」の絵をご紹介します。

榮太樓に有名な「烏」の絵があると聞きましたが、それはどんなものなのですか。

その烏の絵の画題は正式に「枯木寒鴉図」といい、幕末から明治初期にかけて人気のあった絵師・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)が、明治14(1881)年に、上野公園で開催された「第2回内国勧業博覧会」にて、枯木に烏が一羽止まっている図柄の墨画を出品。なんとその絵の売値に百円という当時としては驚く高値を付けたそうです。
開会初日に、いち早くその絵を見つけた榮太樓初代は即座にその絵を求め、売約済みの札を貼らせました。しかしその買手は伏せておくようお願いしたのです。
会期中に、「誰かは分からないが百園で一枚の絵を購入した人がいるようだ」という話が人から人へ伝わり話題となりました。
会期終了と同時に買手が榮太樓主人であると知れると、人々はいっそうに驚きました。この話を聞き、榮太樓初代はやり方が面白い方だなと感じた次第です。
この事がきっかけで、河鍋暁斎の名声も一段と高まり、「鴉萬国に飛ぶ※」の落款印を用いるなどして、初代との交流も深まっていったといいます。
初代も単に奇をてらった趣味でこの絵を買ったのではなく、美術に対する審美眼、文化に対する理解を伺い知る事ができます。
この烏の絵は、暁斎を語るときに欠く事のできない彼の代表作であり、世界的に有名な大英博物館の日本館で日本人として初めて個展が開かれた際に展示されました。
その資料には榮太樓初代とのエピソードが記されています。
一つの名作をめぐり、作家と買手が個人としてこのようなエピソードをもって美術史に記録されている例は極めて稀なことで、名作を通じて、榮太樓の名が世界に紹介されているという素晴らしい事柄なのです。
※「鴉萬国に飛ぶ」・・・暁斎の鴉図にはしばしば二羽の鴉が向かい合った「万国飛(ばんこくひ)」という文字を配した落款印が押されています。これは鴉図によって自身の画名が世界に知れ渡ったことを記念したものと伝えられています。