榮太樓

2月のお話し-榮太樓と鳩マークの話-

榮太樓總本鋪の商標マークである「七段松」については以前触れましたが、榮太樓ではもう一つ大事にしている鳩のマークがあります。
今回は「榮太樓と鳩」についてご説明します。

榮太樓の掛け紙などに使用されている「鳩」にはどんな意味があるのでしょうか?

今から150年ほど前の話で、明治6(1873)年まで遡ります。 現在の国分ビルの中央部分に当時、榮太樓が所有していた「向藏(むこうぐら)」という倉庫がありました。裏の日本橋川に抜ける通路があり、そこから原料を陸上げして保管庫として使用していたようです。
その向藏の天井は見返し部分にある板に小さな丸穴を開けた鳩の巣箱がたくさんあり、百羽余りの鳩がここに住みついていたと言います。

なぜこのように大量の鳩が飼われるようになったのでしょうか。当時の鳩のエピソードについて、取引先企業の記録が記されていましたので抜粋します。(株式会社オカヤス 岡安瀬平様談)

「私の父の話では、父が坊っちゃま(榮太樓初代の次男)の幼少のころ、雄鳩を一羽差し上げたところ大旦那様(榮太樓初代)が、『嫁がいなくては可哀想だ』と云って雌鳩を買われ、一つがいとしてしばらく籠で飼っておられた後、向蔵へ巣箱を作って放し飼いされたのが、あのように繁殖したのです」

もともと一羽の鳩に榮太樓初代が雌鳩を与えたことから始まったということです。
この向藏はやがて取り壊されますが、新館が建築された後も樽に入った鳩用のえさを朝夕、店員が撒いていたという話が残されています。
やがて繁殖した百羽を超える鳩たちは店頭の前に集まるようになります。

よくヨーロッパなどの都市の広場に群がり集まっている鳩のように、榮太樓の店の前は、集まる鳩と遊ぶ子供達の姿が見られ、「榮太樓の鳩」として有名になりました。
今でも日本橋の袂に何羽かの鳩が集まっていますが、その後の震災や戦災の難を逃れた榮太樓の一つがいの鳩の子孫が、その中に混じっているのではないか、とそんな思いをめぐらせながら日本橋を渡っています。


榮太樓の店頭前に集まる鳩が人伝いに有名となり、その光景を見に訪れる人が多くいたそう。

以上のことから、榮太樓二代目は鳩が吉鳩であり平和の使者であることから、松マークに次ぐ第2のマークとして鳩のデザインを容器や包装紙など印刷物に用いていました。
現在では千歳飴袋の封止めシールや御赤飯など慶事に用いる掛け紙などにそのデザインは残されています。