榮太樓

11月のお話し-本店の敷石の話-

榮太樓の本店は江戸末期より場所は同じですが三度の火災と色々な理由で再建、改築、内部改装など数回行われてきました。
現在の本店は令和2年(2020)8月に日本橋エリアの新観光地名所を目指して、江戸の長屋の街並みを再現した広い空間のお店づくりに生まれ変わりました。

本店入口に敷かれている敷石について教えてください。

創業以来、空襲で焼けるまでの永い年月の間、歩道から本店正面入口に踏み込む処に敷かれていた御影石(花崗岩※)があります。「この敷石は、昭和20年(1945)3月10日に空襲で焼失した店舗の焼跡整理の折、当時の営繕関係の出入職であった人が、焼跡から運び出し保管。後年私が結婚して西永福に小宅を建てた折、彼はその敷石のいわれを述べて門前と庭の敷石にしてくれました。」と記されています。

戦前の本店には店の前のほかに、路地、中庭、工場餡場、砂糖藏などに多くの御影石が敷かれていましたが、その多くは戦時の火力によりはじけて変質してしまったそう。店先の御影石は道路端にあったため、あまり火をかぶらずに状態が良かったものを運び出したと聞いたそうです。恐らく関東大震災のときも同様の理由から免れたと思われますので、創業当時からの敷石であると十分に考えられます。榮太樓物語の中では六代目細田安兵衛の言葉としてこのように残されています。
「この御影石こそ、創業以来数えきれない程の榮太樓の店を訪れ、お買い上げ頂いたお客様や初代主人はじめ、歴代の経営者、多くの店員や関係者の人達に踏まれてきたのです。何も語らぬこの石が、長い榮太樓の歴史や足跡を一番知っているのかも知れません。」

江戸、明治、大正、昭和、平成、そして令和の今へと続く時代の流れとともに、私たちの思いを伝えるため、入口の敷石は今も本店に残されています。ご来店の際には、ぜひその敷石を一歩踏みしめて、歴史の重みを感じていただければ幸いです。

※花崗岩(かこうがん)
地下深部でマグマが冷却されてできた火成岩の一種。密度が高く硬質な石なので風化や摩擦に強く、屋外での使用や墓石など長期的に使用される構造物に適している。石材の場合は御影石(みかげいし)とも呼ばれる。