榮太樓

7月のお話し-缶入りみつ豆-開発当時の話-

定番商品の榮太樓のみつ豆は昭和43年(1968)に誕生しました。
昭和49年にテレビコマーシャルでも流れた「はーい、榮太樓です」のフレーズは今もご存じの方がいるかと思います。
今回はその缶入りみつ豆の開発当時のお話しです。

戦後は生活様式や価値観の多様化などによる顧客のニーズに対応するため榮太樓でも
新しく開発された商品があると思いますが、その中の商品について教えてください。

数多くの商品が生まれましたが、今回は缶入りフルーツみつ豆を説明します。
多くのお客様に親しまれている榮太樓のみつ豆はおかげさまで昭和43年(1968)発売から50余年を迎えました。
夏の人気商品として販売しているみつ豆ですが、発売するまでに多くの苦労や課題があったと聞いています。日もちや保存をすることに非常に便利な缶ですが、逆に缶入にすることで中身が犠牲になってしまうという点については特に重要視していて、中身のフルーツは喫茶店で食べるような「生」に近いこだわりを目指していました。このことについて榮太樓物語(昭和41年発案・企画)の中でこう書かれています。

「従来の既製缶詰のもっともな欠点は、寒天も豆もフルーツも皆一緒に詰められているので、日時が経過すると浸透圧などの影響で寒天も豆もフルーツもみつも皆、同じ様な味になってしまうこと、また加熱殺菌や経時変化を防ぐための寒天ゼリー強度の問題などで「あんみつ」に至っては、餡をビニール袋にパックしたものを他の中身と一緒に詰め入れてしまっていたので、開缶すると餡入りのビニール袋が浮かんでいてそれを取り出すのに指がべたついたり、というようなしろものであった」

現代のように技術がまだ完璧ではなかった当時、問題点を探って何としても他社がやらない「缶入りみつ豆」を完成させようと商品に対する強い想いを感じます。

「缶の構造としては、缶の下部にシロップ漬けの具が詰められ、上部中皿にみつが注入され、この中皿が缶上部でブリキ蓋と共に二重巻き締められるという、缶詰業界においては、極めてユニークな発想による構造であった。また生に限りなく近いために、加熱・冷却などの製造工程に耐え、長期保存による老化・軟化を防ぐための寒天の開発、具に対応する最適な糖濃度の設定と深みとまろやかな味のあるみつの作成など、多くの苦心が実り今日の『缶入りみつ豆』が完成」

「生」に近い食感を追い求めた課題を解決しようと、一つの構造になった理想の缶をようやく探し当てたんですね。今では当たり前の缶入り容器も50数年前の当時では画期的な第一歩だったのだと驚かされます。
昭和49年(1974)5月には「はーい、榮太樓です。」でおなじみのテレビコマーシャルが始まり耳に残るこのフレーズは多くのお客様の記憶にも残り、いまも大切に受け継がれています。

こんな開発のお話を頭の片隅に置きながら、つめたく冷やしたみつ豆・あんみつをお楽しみいただければ幸いです。