
榮太樓總本鋪は開店メンバーの一社として参加し、これが当社にとって初めての百貨店への出店となりました。
戦後の百貨店出店について教えてください。
戦後間もない昭和26年(1951)10月27日(土)、食料品を扱う老舗・専門店15社による集団売場街「東横のれん街」が誕生しました。
これは日本国内はもちろん、当時の海外にも例を見ない形態で、商業施設の歴史において画期的な取り組みでした。
現在の「デパ地下」のルーツとも言われる東横のれん街について、その開店前後の様子には社史「榮太樓物語」にも以下のように記録が残されています。
「東横のれん街の設立にあたって、榮太樓總本鋪は中心的役割を果たした。最初の出店社は泉屋、入船堂、榮太樓、小倉屋山本、菊乃舎、コロンバン、志乃多寿司、清月堂、玉木屋、玉英堂、ちとせ、梅林堂、花園万頭、浜藤、文明堂の十五店であった。
昭和二十五年末頃、渋谷店東館南側倉庫を売場にしたいとの考を伺い、程なく有名食品街にしたらと話がやや具体化し、相談を受ける形となった。
東京、大阪の百貨店視察に同行し、どんな業績が上げられるものなのか。当時の社長、細田修三と文明堂の宮崎甚左衛門氏の力添えで参加十五店の東横のれん街が出来たのである。
百貨店内の他の売場とは異なり、各店が間仕切りされた独立の店らしい造りと、その店々の包装紙を使う等といった処が当時としては珍しく、思い立った立案と、英断が見事であった。」
このように当時としては食料品売場に複数の有名店が並ぶ光景は極めて珍しく、大きな注目を集めました。開店初日の全店売上は予算を大きく上回り、その成果は店主会でも話題となり、今後の商いに向けた大きな励みとなったと伝えられています。
また、東横のれん街の設立に中心的な役割を果たしたこともあり、現在は東横のれん街にお店は構えておりませんが、榮太樓におけるデパ地下への挑戦は、ここを原点として今日に繋がっています。











