
黒飴についての生い立ちや桂皮末をまぶした理由を教えてください。
黒飴が誕生したのは明治25年(1892年)のこと。発売当初の黒飴は、現在のように「桂皮末(ニッケ)」がまぶされておらず、黒糖そのものの風味が楽しめる黒糖飴でした。また生産量も少なく、しばらくは鋏(はさみ)でひとつひとつを切り分けて作られていたそう。
今ではおなじみとなっている黄色い缶が登場したのは戦後のこと。戦前は丸缶などの容器は梅ぼ志飴や甘名納糖だけであり、黒飴は筒状の細長いガラス瓶に入れられていました。
現在、桂皮末(ニッケ)をまぶした黒飴の前身は、関東大震災以前の大正時代に支店で販売していた「鰹節飴(かつぶしあめ)」にさかのぼります。鰹節は昔から祝い事や贈り物に使われ、「勝つ」に通じる縁起物で努力が実を結び、物事がうまく進むよう願う意味があります。
この鰹節飴は黒飴と同じ材料で作られており、丸く伸ばした飴を斜めに鰹節のように切り、ニッケをまぶしたものです。容器はハガキの半分ほどの大きさの缶に詰められており、その缶は当時のキャラメルと似た小さなものでした。価格も手頃だったため芝居やおさらい会の蒔き物、運動会などで広く使われていたそうです。
その後、戦後の昭和23年(1948年)からは黒飴に桂皮末をまぶすようになり、あわせて黄色い缶も登場しました。桂皮末の風味が加わったことで、黒飴は梅ぼ志飴を凌ぐほどの人気を集めるようになったと考えられます。
もともと戦前から沖縄の黒糖を使用していましたが、戦後アメリカの統治下になってからも黒飴や煉羊羹などに使用する黒糖の味を守るため沖縄県黒糖を使い続けました。昭和40年(1965年)には、より良い黒糖を求めて職人たちが沖縄まで出向きます。当時はまだ沖縄返還前であり日本から沖縄へ行く場合にはパスポートが必要でした。用途に合った品質の黒糖を厳選し、現地の方々とともに黒糖づくりに励んでいたといいます。素材選びに真摯に向き合い、丁寧に作り上げられた「黒飴」をぜひご賞味ください。
また、新年のご挨拶や敬老の贈り物としてもぴったりな「かつぶし飴」もご用意しております。お祝いの膳に映える縁起の良い鰹節型の黒飴です。どうぞご利用くださいませ。











